自分が二人いるんだ。画く側の自分と画かれる側の自分だ。 この二人が問答をやるのだ。 -これが脚下を照顧する初めである。 (飯塚 毅 著 「会計人の原点」TKC出版 より)
寂かに自分を見つめる瞑想の時間を持ちなさい。 それが脚下の道のスタートラインなのだという教えだと感じます。
「いま」を見逃しているから、過去にとらわれ、未来に不安します。 「いま」まさにたっている「ここ」を見逃しているから、こころは「そと」ばかり漂っています。 私たちは、いつまでも二人の自分に気づくことさえできません。 たとえ気づいても、一方が他方を第三者として眺め「ほんとうの自分」を見逃しています。 だからいつまでたっても、脚下の道のスタートラインにも立てないでいるのです。
過去も未来も実在しません。「そと」もありません。 画く自分も画かれる自分も本物ではありません。 「脚下の道」とは、ほんとうの自分を知り、活かす、実践の道なのだと感じます。