孟母三遷といわれますが、 私が最近知ったすごい人、 笹川良一さんと、 三歳で四肢切断し、72年を生き抜かれたで中村久子さん 二人とも本人はもちろん素晴らしい方々ですが、 実は、彼らの親もすごい方々です。
笹川良一の父親、鶴吉さんは、 笹川良一が23歳の時に亡くなっていますが、 その時の遺言は、次のようなものでした。 以下の資料(話し言葉)は、 (黒瀬昇次郎著「笹川良一伝 世のため人のために」致知出版社) より引用させていただきました。
「国家国民のために行った行為であれば 法律に触れるような場合があっても 良心に恥づる処がなければ責むべきではない。 だから大衆の幸福と信ずればどんなことでも思い切ってやれ。 俺は死んでも魂はお前の背中に乗ってお前を守り通してやる」 笹川良一の母親、テルさんは、 夫鶴吉さんの遺志を、見事に引き継がれます。
笹川良一は、戦後、A級戦犯を志願して、巣鴨に入獄します。 目的は、「天皇と天皇制を守ること」「侵略国家の汚名をそそぐこと」でした。 その入獄前日、テルさんは次のように言って送り出します。
「良一よ。お前の体はお父さんとお母さんが作ったものだが、 今日限り自由に使うてええで。 これ以上の大きな仕事はないさかいにな」
息子が無罪放免となり、巣鴨から出所してきたその日に、 テルさんは、2500人もの戦犯が、まだ巣鴨に残っていることを知り 次のように言いつけます。
「私は氏神様に、全部の人が早ようでられるように、 あしたの朝から毎日、お百度を踏みます。 お前は全員が釈放されるまで、禁酒、禁煙を誓いなさい」
テルさんは、死出の病床につくまで、お百度を続けます。 そして、いよいよ寿命とさとったときに、 息子を枕もとに呼び、
「みんなが出てこられるまで、私の葬式をしてはなりまへん。 葬式をはよ出せるようにせな・・・」 テルさんの葬式が行われたのは、その死から半年経ったあとでした。
前回ご紹介した中村久子さんの母親、あやさん。 笹川良一さんのご両親。 「すごい親がいる」と心底から感心させられてしまいました。